2005年07月20日
琉球ガラス
今日の午後、ガラス村まで行って日曜日に作ったグラスを引き取ってきました。
自分が作ったやつは普通のより細長くて、口もややいびつな形をしていました。
でも、手作り感があってイイ感じです。
せっかく南部まで来たのでひめゆりの塔にも寄ってきました。まだ行ったことなかったし。
その勢いで旧海軍司令壕にも寄って帰りました。ちょっと不気味でしたが、資料館の写真などを見て戦争の悲惨さを実感させられました。
本当に自分がこの平和な(?)時代に、なに不自由なく生きている事をありがたいと思いました。と、同時に戦時中の苦しい時代をを生き抜き、戦後の焼け野原から日本を建て直した僕たちの祖父母の世代に感謝しなければなぁと思いました。
この前の4月に祖母が亡くなりましたが、何か孝行できたかなぁと思うと何もしてあげられなかったような気がしてなりません。みなさん、お年寄りは大切にしましょうねぇ~。
琉球ガラス村HP
ひめゆり平和記念資料館HP
知覧特攻平和会館HP
Posted by 魔虎斗 at 23:30│Comments(2)
│日記
この記事へのコメント
なんだか、いつもとは感じの違う記事ですね〜。
自分は沖縄に来て早、一年以上経ちますが、未だ戦争のモニュメントを訪れたことがありません…
やはりバックグラウンド知ってこそ沖縄でする人間ですかね。
今度時間が出来たらひめゆりとかに行ってみようかな〜
自分は沖縄に来て早、一年以上経ちますが、未だ戦争のモニュメントを訪れたことがありません…
やはりバックグラウンド知ってこそ沖縄でする人間ですかね。
今度時間が出来たらひめゆりとかに行ってみようかな〜
Posted by マサフ at 2005年07月20日 23:54
戦死者の写真なども展示してありました。18歳にも満たないような子がたくさん戦死していました。これからがいい時期なのに・・・。自動小銃の乱射を受け即死・・・。こういうのをみるとなんとも言えない気持ちになります。さぞ無念だったろうに・・・。
以前、鹿児島の知覧特攻平和会館(あの神風特攻隊の)に行った時、特攻兵の遺書を読んだことがありますが、もう、かわいそうというかなんというか、たまらなかったですね。生きて帰れない事を覚悟の上での家族や恋人や友人に宛てた手紙。この時代の人たちは比較的みんな字がうまかった事もあるのでしょうが、なぜかどれも筆跡が凛々しく見えました。とても同年代の人間が書いたものとは思えないほど。片道分の燃料と爆弾をかかえ、どんな気持ちで敵戦艦に突っ込んでいったのでしょう。
ああ、ガラにもなく語ってしまってすまん。
以前、鹿児島の知覧特攻平和会館(あの神風特攻隊の)に行った時、特攻兵の遺書を読んだことがありますが、もう、かわいそうというかなんというか、たまらなかったですね。生きて帰れない事を覚悟の上での家族や恋人や友人に宛てた手紙。この時代の人たちは比較的みんな字がうまかった事もあるのでしょうが、なぜかどれも筆跡が凛々しく見えました。とても同年代の人間が書いたものとは思えないほど。片道分の燃料と爆弾をかかえ、どんな気持ちで敵戦艦に突っ込んでいったのでしょう。
ああ、ガラにもなく語ってしまってすまん。
Posted by 魔虎斗 at 2005年07月21日 00:58